端午の節句の由来と菖蒲やちまきの意味

 5月5日はこどもの日であり、端午の節句でもあります。端午の節句には兜や五月人形を飾り、柏餅やちまきを食べますね。ところで、端午の節句とは何なのでしょうか?何故、柏餅やちまきを食べるのでしょうか?

 端午の節句の由来、柏餅やちまきを食べる理由を紹介します。

 端午の節句の由来

 端午の節句は、奈良時代に中国から日本に伝来し、時を経て、日本独自の風習に変わっていきました。

 中国から伝来した端午の節句、日本独自の端午の節句、それぞれをみていきましょう。

中国から伝来した端午の節句

 紀元前11世紀に成立したといわれている楚(現在の中国湖南省、湖北省)に、屈原(くつげん。紀元前343年1月-紀元前278年5月)という政治家がいました。屈原は能力がとても高く、また、とても真面目な性格で、国民からの人望が厚い一方で、同じ政治家からは妬まれていました。当時、楚は西に存在する秦との外交問題を抱えていたので、東に存在する斉と同盟を結び、秦と対立するように、屈原は王様に進言しました。しかし、王様は秦に懐柔されてしまったのです。

 屈原は楚の未来に失望し、5月5日に汨羅江(べきらこう)という川に入水しました。屈原を慕っていた国民が屈原の気持ちを鎮めるため、また、魚が屈原の遺体を食べないようにするために、ご飯を包んだ笹の葉を川に投げました。

 また、季節の変わり目である5月は亡くなる人が多く、厄を祓う薬草であり、5月に咲く菖蒲を玄関に飾って、健康を祈願していました。

 この中国の風習は奈良時代に日本に伝来しました。

日本の端午の節句の由来

 日本では5月は田植えの時期。女性が神社に籠って、五穀豊穣を祈願していました。また、厄を払う薬草として知られていた菖蒲を玄関に飾っていました。「あれ?どこかで読んだような。」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?そう、中国では5月に菖蒲を玄関に飾って、健康を祈願する風習があると紹介しましたね。中国から伝来した風習と日本で行われていた風習が合わさって、端午の節句が生まれたのです。

 この端午の節句は、特に武士の間で浸透しました。というのも、武道を大切にするという「尚武」と読み方が同じである菖蒲は、武士にとって縁起が良いものだったからです。江戸時代に入ると、端午の節句は公的な行事となり、庶民にも普及し始めます。その普及する過程で、端午の節句は武士となる男の子の誕生を祝ったり、健康や成長を願ったりする行事に変わりました。

 柏餅やちまきを食べる理由

 端午の節句に食べる柏餅やちまき。「えっ?ちまき?うちは柏餅を食べているけど。」という方、反対に、「えっ?柏餅?うちはちまきを食べているけど。」という方がいらっしゃるのではないでしょうか?これは地域差。東日本では柏餅を、西日本ではちまきを食べる風習があるのです。

 柏餅を食べる理由、ちまきを食べる理由、それぞれをみていきましょう。

柏餅を食べる理由

 柏餅はお餅を柏の葉で包んだ和菓子。柏の木には神様が宿っているといわれています。また、柏の木は新芽が出てから古い葉が落ちることから、跡が途切れない、つまり、子孫繁栄を象徴しているとして、縁起が良いとされてきました。男の子の成長と子孫繁栄を願って、端午の節句に柏餅を食べるようになったのです。

ちまきを食べる理由

 先述したように、魚が川に身投げした屈原を食べないよう、国民が川に投げ込んだのがちまき。ちまきを投げると国が安定すると言い伝えられ、日本の端午の節句でもちまきを食べるようになりました。

 ちなみに、ご飯を包んだ笹の葉を糸で縛るようになったのは、「笹の葉からこぼれ落ちるご飯を悪龍が食べてしまうので、悪龍が嫌いな糸で縛ってほしい」と、霊となった屈原が呼びかけたからだそう。この話が本当なら、言い伝えのとおり、屈原はとても真面目な人ですね。

 まとめ

 端午の節句の由来、柏餅やちまきを食べる理由を紹介しました。

 端午の節句は中国から日本に伝わり、時を経て、男の子の誕生を祝ったり、健康や成長を願ったりする日本独自の端午の節句に変わりました。

 柏餅やちまきを端午の節句に食べるのは、男の子の成長や子孫繁栄を祈願するため、また、厄払いをするためです。

 由来や理由を知って端午の節句を迎えると、子どもに対する気持ちがより深くなるのではないでしょうか。是非、子どもに由来を話して、成長を願う気持ちも伝えてあげてくださいね。

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