仁徳天皇ってどんな人?世界遺産に登録される天皇陵の楽しみ方は?

 新しい時代・令和が始まって早々、ユネスコ世界遺産員会の諮問機関であるイコモスが、大阪府堺市にある仁徳天皇陵を含めた「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に登録するように促していることが発表されました。イコモスは文化遺産の保存、保護方法を研究したり、世界遺産登録を審査したりする機関で、2019年6月30日から7月10日にかけてアゼルバイジャンで開催されるユネスコ世界遺産委員会で、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に正式に決まるといわれています。ご存知のとおり、古墳群は天皇や皇族が葬られたお墓で、陵墓が世界遺産に登録されるのは世界で初めてであり、また、令和第一号の世界遺産となります。

 そこで、仁徳天皇の人物像、天皇陵のアクセスと楽しみ方を紹介します。

 仁徳天皇ってどんな人?

 日本で最大規模の古墳として、社会科の教科書に登場する大仙古墳。大仙古墳は別名「仁徳天皇陵」とも呼ばれ、前方後円墳の代表として、写真を見たことがある方も多いと思います。しかし、教科書で、天皇一人一人について取り上げることはありませんよね。

 仁徳天皇の祖父・仲哀天皇、祖母・神功皇后、父・応神天皇、そして、仁徳天皇の人物像に迫っていきましょう。

祖父・仲哀天皇ってどんな人?

 第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇はあの有名な日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第2子ですが、在位期間がわずか9年で、記されている功績が少なく、実在が疑問視されています。

 仲哀天皇は朝廷に反抗する豪族(熊襲)を討伐するために、妻である神功(じんぐう)皇后と一緒に、大和(現在の奈良県)から筑紫(現在の福岡県)に移り住みました。ある日、天皇は神様から、「熊襲の国は不毛で征服する価値がないので、熊襲を討伐するより、西にある新羅を征服せよ。」と告げられましたが、天皇は「西には海しかない。」と言って、神様の言葉を信じませんでした。天皇は神様の怒りに触れ、即位してわずか9年で病死してしまったのです。

祖母・神功皇后ってどんな人?

 仲哀天皇が崩御した後、神功皇后は香椎宮に天皇を祀り、葬儀を済ませました。すると、神様から皇后に、「新羅を征服しに向かえば、やがて産まれる皇子は国を治めるであろう。」とお告げがありました。皇后は後に紹介する応神(おうじん)天皇を身ごもっていたのです。皇后はお腹に3つの大きな石を巻き付けて、出産を遅らせ、軍隊を整えて、新羅に向かいました。海を渡っている最中に、たくさんの魚が現われ、皇后の船を背負います。また、追い風が吹き、船はすごい勢いで新羅に進み、やがて、船の乗った波が新羅を襲い、なんと、新羅の土地の半分を浸水させたというのです。新羅の王は驚きのあまり、戦わずに降伏しました。新羅が降伏したことを受けて、隣国である百済、高句麗も降伏(三韓征伐しました。

 神功皇后は新羅から筑紫に戻って、応神天皇を無事出産しました。出産したのは、なんと妊娠15ヶ月目のことなのだとか。皇后は安産の神様として祀られ、現在も続いている「妊娠したら腹帯を巻く」という風習が生まれたといわれています。

父・応神天皇ってどんな人?

 在位期間9年間の仲哀天皇とは打って変わって、41年間在位した応神天皇。応神天皇は朝鮮半島や中国大陸から多くの渡来人を招いて、文化を吸収しました。同時にもたらされた技術によって、技術革新が起こり、農業の生産力が向上したといわれています。

 応神天皇は実在が疑問視されている仲哀天皇の子どもに当たりますが、在位期間が41年間にも及び、記されている功績が多いため、実在性が高いとされています。ただし、仲哀天皇や神功皇后との血縁関係がよく分からないため、実在性がある反面、謎に満ちた天皇でもあります。

仁徳天皇ってどんな人?

 日本書紀によると、313年に即位した第16代仁徳天皇の在位期間はなんと87年間といわれています。しかし、天皇が生まれてすぐに即位しなければ、87年間も在位するなんて不可能ですよね。古事記によると、実際の在位期間は31年間だといわれています。

 仁徳天皇が即位して4年目の春。天皇が高殿に登って国を見渡したところ、どの人家からも調理する煙が上がっていないことに気付き、民が貧しい暮らしを強いられていることを知りました。そこで、天皇は3年にわたって課税を止め、民の負担を取り除くことにしました。課税がないおかげで、民の生活は改善されましたが、「裕福」とはまだまだいえない生活でした。そこで、天皇は更に課税の停止を3年間延長しました。このような仁政が功を奏して、民の生活は活気を取り戻したのですが、天皇の暮らしは民が納める税金で成り立っています。課税を止めていた6年の間に、宮殿の屋根は崩れて、風雨が漏れるありさまとなりました。「天皇はこのような暮らしをしてまで、課税を停止してくださっていたのか!」、「このような汚い宮殿に天皇を住まわせてはいけない!」と天皇に感謝した民は、自ら進んで宮殿の修復を始めたといわれています。

 仁徳天皇の在位中には、民のための大土木工事も盛んに行われ、難波堀江(なにわのほりえ)、茨田堤(まんだのつつみ)、和珥池(わにのいけ)など、築造された多くの堤防や水路の名が記録に残っています。築造された堤防や水路によって、河川の氾濫がなくなり、耕す土地が増えて、国はますます栄えました。「仁徳」という名のとおり、仁政を施した天皇として民衆から尊敬され、この逸話は現代まで語り継がれているのです。

 仁徳天皇陵のアクセスと楽しみ方

 先述したように、仁徳天皇陵は日本で最大規模の古墳です。全長が486メートルもあり、エジプトのギザにあるクフ王のピラミッドや中国の西安にある秦の始皇帝陵と合わせて、世界三大墳墓の一つとされています。

 天皇陵のアクセスと楽しみ方をみていきましょう。

アクセス

 仁徳天皇陵の最寄り駅はJR阪和線・百舌鳥(もず)駅です。百舌鳥駅から西へ500メートル(徒歩7分程度)進めば、天皇陵の拝所に着きます。

 しかし、最寄り駅ではなく、一つ手前の三国ケ丘駅で下車して、天皇陵に向かうのがおすすめです。その理由は2つあります。1つ目の理由は、百舌鳥駅にはJR阪和線しか通っていませんが、三国ケ丘駅にはJR阪和線と南海高野線の2つが通っていて、三国ケ丘駅のほうが百舌鳥駅に比べて行きやすいから。そして、2つ目の理由は、三国ケ丘駅にある屋上公園・みくにん広場から天皇陵を眺められるからです。先述したように、天皇陵の全長は486メートル。「鍵穴のような特徴的な形をした前方後円墳を見たい!」と思う方もいらっしゃるとは思いますが、地上からは前方後円墳全体を見ることはできません。また、天皇陵は宮内庁が管理していて、立ち入ることができません。天皇陵は大きな堀とたくさんの木々、高い柵に囲まれています。天皇陵が前方後円墳であることをみくにん広場から見て、天皇陵を1周すれば、天皇陵の全体像をつかめるのではないでしょうか。

楽しみ方

 仁徳天皇陵を上から眺められるのはみくにん広場だけではありません。堺市役所から眺めることもできます。堺市役所の最上階には、地上80mの高さから、景色を360度見回せる(見渡せる)回廊式ロビーがあります。天皇陵全体を見ることはもちろん、堺市の町並み、あべのハルカスなどを楽しめます。天気がいい日は、兵庫県にある六甲山、奈良県にある生駒山なども見られます。喫茶コーナーもあるので、天皇陵に足を運んで、堺市役所の最上階でコーヒーを飲みながら、天皇陵を上から眺めるというのもいいですね。

 堺市役所へのアクセスは南海高野線が便利です。南海高野線・堺東駅から徒歩5分で、駅前を通っている道路を渡ればすぐに着きます。市役所に駐車場はありますが、駐車場料金が30分ごとに200円(休日は最大料金500円)かかるので、長く滞在したい方は電車を利用しましょう。また、市役所ではありますが、年中無休で、朝9時から夜21時まで営業しているのも魅力的ですね。

 まとめ

 仁徳天皇の人物像、天皇陵のアクセスと楽しみ方を紹介しました。

 仁徳天皇は民の貧しい生活を改善するために課税を停止したり、民のために大土木工事を盛んに行ったりし、国はますます栄えました。「仁徳」という名のとおり、仁政を施した天皇として民衆から尊敬され、天皇の逸話は現代まで語り継がれています。

 仁徳天皇陵の全長は486メートルもあり、地上からは天皇陵全体を見ることはできません。また、天皇陵は宮内庁が管理していて、立ち入ることができません。天皇陵は大きな堀とたくさんの木々、高い柵に囲まれています。三国ケ丘駅にある屋上公園・みくにん広場や堺市役所の最上階にある回廊式ロビーから天皇陵を眺めて、天皇陵を1周すれば、天皇陵の全体像をつかめるのではないでしょうか。

 令和第一号の世界遺産となる「百舌鳥・古市古墳群」。混雑する前に観光に出かけてはいかがでしょうか。

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